鄙乃里

地域から見た日本古代史

ちょっと気になるあの日の単写真 ③ 平和台球場

 懐かしの 平和台球場 福岡市


 平和台球場のグラウンド

 今はもうありませんが、福岡の大濠公園近くの舞鶴公園というところにあった西鉄ライオンズ、そしてダイエー・ホークスのホームグラウンド。

 西鉄ライオンズの黄金期は過ぎていたけれど、中西太監督が一塁手を兼任し、稲尾和久投手もまだ活躍していたころです。

 このときチームは遠征中だったのか、地元の社会人か、クラブチームが練習試合をやっていました。

 入ってみると思いのほか球場は広い。後楽園球場も外から見たことがありますが、甲子園をはじめ、やはりプロの球場は広いなと感じました。

 ライオンズはのちに埼玉に移転して現在の西武ライオンズになり、平和台球場ダイエー・ホークスが来たのですが、新しい福岡ドームが出来てからそちらへ移り、今のソフトバンク・ホークスになったようです。それ以前のホークスは鶴岡監督・野村監督の南海ホークスでした。


 考えてみると、福岡市へ行ったのは二度きり。それも一度は太宰府へ行く途中で天神に立ち寄っただけなので、この平和台球場は、別の日に遊びに行ったときの唯一の写真です。

 博多駅から路面電車で中州の橋を渡って、最初に立ち寄ったのが岩田屋(福岡本店のデパート)。その当時すでに1階にサテライトスタジオがあったので、さすが、九州の都会だな!というのが第一印象でした。それから平和台球場へ入って試合を観たり、しばらく遊んでから、大濠公園を一周して帰ったように憶えています。

 帰りには中ぐらいの博多人形を買ったように思うのですが、以前から手許にないので誰かの土産にしたようです。その代わりに、もらった博多織のネクタイを持っています。

 そのほかでは、太宰府天満宮へ行く途中で「雑餉隈(ざっしょのくま)」という駅名があり、変わった珍しい地名だな――というのは記憶に残っています。


 福岡は「博多にわか」という郷土芸能や、「博多どんたく」「博多祇園山笠」などの祭りが多いと聞いていたので、一度祭りの日に行ってみたいなと話していたのですが、そのうちこちらの環境が変わってしまい、残念ながら、それっきりに。

 
 平和台球場ラストゲームは1992年10月1日で、1997年に球場が閉鎖。その後、解体されたそうですね。

 「平和台球場」は、博多へ遊びに行ったときの、ささやかで、懐かしい思い出です。

 

 
    
っ…ざっ
     

        
      ま
!!
                                                                                                                                                                                   
                                                                                                                            1992年10月1日 Justsystems 

 


  福岡市街図





紫陽花? じゃなくて、 ペンタス