鄙乃里

地域から見た日本古代史

予州新居系図

 予州新居系図

 概 略
 『予州新居系図』は鎌倉時代に書かれた伊予国の新居一族の系図で、弘安4年(1281)頃(ほかに正応年間との資料もある)に東大寺戒壇院学僧の凝然(ぎょうねん)が消息文の紙背に記したものです。

 反古紙を10枚つなぎ合わせた裏面に書き付けていて、平安中期の円融天皇一条天皇頃から鎌倉後期の後宇多天皇頃まで約300年間にわたる300人ほどの人名を載せています。現在のような横系図の始まりともいわれるそうです。

 現物は西条市伊曽乃神社の伊曽乃文庫に収蔵されていますが、宝物館にレプリカが展示されているので、それを見ることは出来ます。ただ、このような反古紙に書かれた系図ですから、神社の宝物とはいっても、いたって簡素なものです。「予州新居系図」は他の二系図のように国宝ではありませんが、昭和27年に国の重要文化財に指定されました。

f:id:verdawings:20200911103603j:plain

西条市教育委員会発行西条市文化財』より 縦27.3㎝、横373.6㎝



 作者、凝然について
 作者の示観国師凝然は1240年生まれ。伊予国越智郡(現今治市)高橋郷の出身で16歳のとき比叡山で菩薩戒を受け18歳のとき東大寺戒壇院で受戒しました。多くの師について各宗派の教えを学び、その他の諸学にも精通し、のちに戒壇院長老となって後学の指導や著述に専念しました。『八宗綱要(はっしゅうこうよう)』をはじめ多数の著書があります。82歳で没しましたが、「予州新居系図」は一時、郷里の越智郡で帰省中に作成されたといわれています。

  凝然が系図を書いたのは、凝然自身が新居一族の小千氏(小市国造とは別)の流れだったからで、越智郡高橋郷の出身だからか、隣接する別宮(べっく)氏の系図も併せて詳細に記されています。但し、どういうわけか河野氏系図は書かれていません。

 

 系図の概要

f:id:verdawings:20200910221419j:plain

 この系図は新居一族の中でも主として高市(たかいち)氏の系図で、新居系図の一部を抄出したものです。高市氏は新居一族の中では新居兄部(このこうべ)と並んで大族でした。
 
 系図中にある高市大夫兄部盛義は平清盛の烏帽子子(えぼしご)です。
 また、その子清義(きよのり)は『予章記』に次のように書かれています。

高市武者所清儀、同太郎友儀と云者、接(摂)州生田森の攻口にて、鹿を射て弓勢の聞へありける。

 これは鵯越(ひよどりごえ)で源義経の軍に驚いて鹿が平家の一ノ谷の陣地へ飛び出したのを清義が射止めたことを言っているのですが、このように新居の一族の中でも高市氏はとくに平氏と親しかったので、この一ノ谷で敗れてしまい、在地の子息ら将兵も源氏方の河野氏に責められて自決をしたのです。

 作成者の凝然大徳は、為世の子・季成の二男頼成の裔孫で名は書かず「僧」とのみ記してあります。

 系図では一応、冒頭に越智玉澄からの流れを記していますが、この系図の始まりは越智為世(おちためよ)という人です。そして凝然も「これより以前は知らない」と記していますから、本人にもそれ以後しか詳しくは分からないわけです。

 ただ、研究者の間では、『予州新居系図』は先に紹介した『円珍俗姓系図』の前半部分に続くものではないかと考えられています。しかし、両系図には約150年の空白部分があるため、その間が謎になっているわけですが、伊曽乃神社では伊曽乃神社の御村別(みむらわけ)の一族が平安中期になって武士化して新居氏を名乗ったといっていますから、それなら、両系図には間違いなくつながりがあります。

 

f:id:verdawings:20200911104304j:plain

*500人とあるのは別宮氏の系図も含めてのことか。ざっと数えたら300名ほど。他資料にも300人ばかりと書かれている。



 問題点と評価点
 肝心なのは「為世」という人が、どんな人物かまったく不明だという点にあります。ちらほらと名前は出てきますが、はたして実在の人物なのかすら分かっていません。『予州新居系図』に新居一族の祖として記されているだけなのです。あとは河野氏系図にも出てきますが、河野氏の出自自体が曖昧なものですから詳細は不明です。

 それから為世以後の2、3世代の人物名が、寺社の伝承にも古文書にもほとんど登場しないことも問題です。中央の藤原貴族から借名したような名前ばかりで、凝然自身が藤原姓を名乗っているのも疑問です。

 この辺りにいくつかの問題点を抱えていますが、それ以後は実在の人物名が多く、支脈までも多岐にわたり実に詳細に調べられています。また『予州新居系図』は武家としての活躍や来歴を述べたものではなく、単純に自家の系図を書いただけのものであること、それも一級の学問僧である凝然が調べて書いているので、実在の人物に関しては信頼性の確度が高いです。

 

 円珍俗姓系図』との関連と今後の課題
 『円珍俗姓系図』と『予州新居系図』。この二系図の空白部分を埋める明確な史料は存在していませんが、むしろ存在しないことが不思議と考えられ、何らかの勘違いにより見落とされていると考えたほうが正しいのではないかと思います。
 新居一族の祖に書かれている越智為世が誰かは分かりませんが、上述の点と年代から推測して新居一族は越智玉澄か、その兄の越智玉守かのどちらかの苗裔ではないだろうかと、考えているところです。なぜなら、新居氏は河野氏と同じように越智姓を名乗っているのですから。


f:id:verdawings:20200910233612j:plain