鄙乃里

地域から見た日本古代史

光る太陽 花野を越えて 走れやまなみハイウェイ

 やまなみハイウェイ昭和39年(1964)に九州に開通した観光道路です。

 九州の真ん中の高原地帯を縫うように走るドライブウェイで、くじゅう連山や阿蘇山などの雄大な山並の景観を楽しめます。   

 1964年といえば、東海道新幹線の開通や、東京五輪開催でも話題になった年ですね。

 現在のやまなみハイウェイは、当時と比べると沿線の休憩所やレジャー施設・標識などが増えているように見えますが、高原の風景そのものは自然の景観なのでそれほど変化はありません。

 


 瀬の本高原

 この日は熊本市から阿蘇方面に入ったので、瀬の本高原だろうと思います。高原の見かけの様子は現在とずいぶん変わっているようですが、山の形やコスモスでだいたい分かります。

 


 瀬の本高原




 阿蘇五岳

 阿蘇五岳は、根子岳高岳・中岳・烏帽子岳杵島岳です。
 噴火しているのは中岳。


 山村風景

 車窓から見下ろした山間の風景。かなり高いところを上がっていますね。

 


 ハイウェイのカーブ

 最初は、やたらにカーブが多かった印象です。ハイウェイといっても、今の高速道路とは違って、全線舗装された観光道路のことですが

 西日本鉄道の観光バスで、阿蘇方面からくじゅう方面へ北上しているところです。

 

 
 阿蘇の寝仏(あそのねぼとけ)

 阿蘇の寝仏というのは、ガイドさんから教わった俗称です。なるほど、仏さまが仰向けに寝ている姿のように見えますね。でも、今でもこの呼び名は使われているでしょう。

 仏さまの頭に当たるギサギサの山は、阿蘇五岳(あそごがく)のひとつ根子岳(ねこだけ)。

 当時と今と大きく異なるのは車の通行量で、自家用車など運転している人はわずかしかいません。この写真の車はほとんどが小型タクシー。中型車は営業所経由でハイヤー。同じものですが、一般に小型がタクシーで、中型がハイヤーと思われていました。

 職業運転手以外で免許証を持っている人はまだ数えるほどでしたが、何を思ったのか、この夏、苦労して免許を取りました。職場でもまだ2,3人といった時代です。といっても、自家用車などは夢の夢で買えるあてもまったくないのだから、当然ながら、かなりの期間ペーパードライバーというはめになってしまいました。

 このころ教習所で使用する車種は中型車がクラウンとセドリックでしたが、卒業前に試しに警察署で受験してみたところ、それらの試験車も準備されてはあったのですが、運悪くスカイラインがあたり、ギアチェンジが真逆のために、うろたえて脱輪したのを覚えています。あと普通車にはブルーバードなどがあったようですね。

 そんなわけで、やまなみハイウェイは、バスの運転手さんの立場になって走っていたように思います。

 この後に爆発的に自家用車が増えてきて、マイカー・ブームとか称されました。




 根子岳



 阿蘇がだんだん遠くなる。

 

 

 
 くじゅう山か?

 このあたりはもう九重でしょうか?






 登ってきたところから見た下のS字カーブ。



 まもなく長者原(ちょうじゃばる)あたり?




 長者原

 長者原まで一気に走って一旦休憩。

 

 これは長者原よりあとの風景。


 やまなみハイウェイは、後年に、もういちど大分市から別府経由で逆走したことがある気がするのですが、阿蘇あたりの風景の記憶が思い浮かばないので、途中の湯布院どまりだったのかもしれません。ずいぶん前のことですから。 

 


 モノクロとカラーは全然違うので、また走ってみたいような気もします。