山口市について
山口市は山口県のほぼ中央に位置する県都で,昔は周防国吉敷郡(よしきぐん)に属していました。
三面を山に囲まれ椹野川(ふしのがわ)が貫流する内陸の盆地になぜ県都が…?との疑問も湧くわけですが、南北朝のころの周防は大内氏の所領で、大内氏が居館を構えた土地だったのです。
その大内氏が山口で京を模した町造りを行ったため、京からも文人が多く移り住んで大内文化が栄えたことから、山口は「西の京都」とも呼ばれています。
山口市街図
大内氏滅亡後は安芸の毛利氏が支配しましたが、江戸時代の毛利氏は萩に居城を築いたため、一時期は山口も寂れたようです。それでも文久3年(1863)に毛利敬親(もうりたかちか)が藩の政庁を山口に移し、明治時代に県庁が置かれてからは、山陰地方への通過点でもあるため、再びにぎわいを取り戻したようです。
ただ、最近は山陽道の各市もけっこう発展しているので、何となく取り残されたイメージがないわけでもありません。山口市も南隣の小郡町などを再併合することで、新幹線の新山口駅も出来て市域を広げています。それでも人口は下関市についで二番目で、どちらかといえば経済発展よりも、やはり昔ながらの教育・文化の町といったほうがふさわしいのかもしれません。
瑠璃光寺境内
山口市にはこれまで幾度となく行っているのですが、たいていが用件だったからか、訪れたわりに観光写真といえるものは1枚も撮っていませんでした。
でも、幸い絵はがきだけは律儀に購入しているようなので、当時の古い絵はがきから簡単に紹介させていただきます。
掲載しているケースの写真は瑠璃光寺(るりこうじ)です。山口市では有名な曹洞宗の寺で、境内の五重塔は国宝になります。
室町時代の応永の乱で足利義満と対立して敗死した大内義弘の菩提を弔うため、弟の11代当主・盛見(もりあきら)が建立したもので、嘉吉(かきつ)2年(1442)に完成。室町時代の貴重な建造物として国宝に指定されています。
この五重塔は本来は香積寺(こうしゃくじ)のものだったのですが、毛利氏が香積寺を萩に移したため、五重塔はそのままに、瑠璃光寺が入ったそうです。
さすがに、これは国宝なので見に行きました。
常栄寺と雪舟庭 (複製禁止)
11代の大内政弘が京都の金閣寺に模した別邸を造り、当時山口に住んでいた雪舟に築庭させたと伝えられています。山口県には、ほかにも雪舟作と伝えられる石庭があります。
本堂から鑑賞できますが、常栄寺(じょうえいじ)に行った日は積雪していたので、庭を歩いてみました。
ザビエル記念碑 (複製禁止)
正しくは「ザビエル遺跡大道寺碑」と称して、ザビエル記念公園にあります。
大内義隆が、1551年に再度、山口を訪れたフランシスコ・ザビエルに布教の拠点として与えた大道寺が、この地だといわれています。
ここには行っていません。
ありし日のザビエル記念聖堂 (山口市街図 名所案内より)
亀山(かめやま、300m)の中腹にあります。
聖ザビエル来朝400年を記念して、昭和25年に建てられたカトリックの教会堂。当時、世界各国からの浄財で建てられたといわれます。
しかし残念なことに、平成3年9月5日にこの聖堂は焼失したそうで、現在は近代的な建物に変わっています。
中原中也の実家
湯田温泉へ行ったときに詩人・中原中也の実家を訪ねたことがあります。
中也の弟で四男の思郎さんと母親のフクさんがご健在で、快く歓待していただきました。ちょうど思郎さんが『兄中原中也と祖先たち』を上梓されたころで、中也に関する質問などはしなかったですが、話を伺ったり、いっしょに写真を撮っていただきました。中原病院の跡は現在「中原中也記念館」になっています。
そこから歩いて5分ぐらいのところにある高田公園(2012年3月に井上公園と改名された)にも立ち寄ってみました。
明治の元勲のひとり井上馨(いのうえかおる)の生地で、文久3年(1863)に都落ちした三条実美ら七卿が住んでいたため、その七卿旧跡碑や、種田山頭火の句碑、それに中也の「帰郷」の詩碑もあります。
山頭火の句碑は
ほろほろ酔うてこの葉ふる
山頭火が湯田温泉の風来居(ふうらいきょ)に一時期住んで、山口の文学仲間と交流したからでしょう。その前は小郡の呉中庵(ごちゅうあん)にもいました。自由律の俳句を詠み各地を放浪して松山市の一草庵(いっそうあん)で生涯を終えますが、もともとが防府出身の俳人です。
中原中也の詩碑は、撰文が大岡昇平、詩文を小林秀雄が書いたもので、『山羊の歌』の中の「帰郷」の一部を抜粋しています。
これが私の古里だ
さやかに風も吹いてゐる
あゝおまへは何をして
来たのだと
吹き来る風が私にいふ
と、詩碑にはあります。
原詩はもっと長いのですが、山口市の詩碑なので「帰郷」のタイトルにふさわしい詩句のみを抜粋しているのでしょう。
公園では碑文の拓本を取っている人も見かけました。紙を貼り付けてゴシゴシ擦っています。熱心な研究者や愛好者は、どこにもいるものですね。でも,オタクではないでしょう。そんな言葉は存在しなかったですから。
絵画展に行ったことも
世界的な名画・名品の移動展は東京、名古屋、大阪、京都、広島、福岡あたりで開催されることが多く、他の地方都市では珍しいのですが、山口市でもたまにはありました。ちょうどそのころ西洋の印象派の絵画を一堂に集結した移動展がやって来るというので、チケットを手に入れ、楽しみに汽車に乗って行ってみました。
ところが、着いてみると、会場前はすでに長蛇の列。前の人が退場しないと前進できない有様です。その上、ようやく順番が来ても「なるべく、立ち止まらないで!!」という感じで、ろくに作品を鑑賞するまもなく、人混みに押されて「ところてん」のように押し出されていくだけ。名画はたくさんあったはずなのに、今でも憶えているのはモネのパラソルの絵ぐらいなものか。たぶん右向きの絵だったので、バリの美術館から借りたのでしょう。それ以来、イベントのような展覧会に行くのは躊躇するようになりました。
しかし、考えてみると、山口県立美術館がまだ完成していなかったころの話なので、もしかしたら、建設中で臨時の会場だったからなのかも??
一の坂川の蛍
山口市を流れる椹野川周辺には源氏蛍が生息しています。椹野川の支流で市街地を流れる一の坂川の蛍は有名です。
市街から近く人家もけっこう多い場所に生息地があるので(世話をされている人がいる)、蛍の季節には見物のため訪れる人が多いです。とくに橋の上から見ると、川面を飛び交うゲンジボタルの点滅する軌跡が神秘的でみごとです。「ほーほー、ほーたるこい」と子供らが歌いながら、家族連れで歩いているのを見かけます。
川風に吹かれて夜の散歩なんて、ちょっと乙で風情がありますが、見頃は5月末から6月上旬なので、今年はもう終わっていますね。
そういえば、麦わらで、蛍かごを作ったね!
山口のは、ちょっと変わっている。
夏でも見られるのかな?
土産は漆塗りの「大内人形」でしょうか?