鄙乃里

地域から見た日本古代史

若戸大橋を渡って高塔山へ行こう 若松


 開通当時の若戸大橋 (絵葉書)

 昭和37年(1962)9月26日に開通した若戸大橋。当時は東洋一の吊り橋といわれ、赤い色が印象的でした。

 若戸大橋の架橋により、翌年2月10日に北九州5市が合併して、新しい100万都市の北九州市が誕生したのです。全国的な豪雪でした。

 


 若戸大橋(戸畑側から)

 最初は橋自体が観光名所で、見上げるような40mの高さには圧倒されました。
 今は高い建造物はいくらもありますが、当時はまだ珍しかったのです。

 工場から発生する亜硫酸ガスで橋の腐食が早まるのではないかと心配されていましたが、今年で60年目を迎えます。当初の耐用年数の目標は50年だったそうですから、10年以上長持ちです。塗り替えているからでしょうね。

 


 洞海湾洞海湾若戸大橋

 向こうが若松。

 橋には43人乗りエレベーター2基があり、エレベーターで橋に上がり、有料の歩道を歩いて若松側へ渡りました。橋長は680m

 現在は歩道がないので、エレベータもないかもしれません。残念!歩けませんね。
 バスか車で行けばいいです。

 

 


 高塔山ロープウェイ(絵葉書)

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 高塔山ロープウェイは昭和33年(1958)に運行が開始され、昭和46年(1971)には廃止されたそうで、13年間ほど動いていたらしいです。

 

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 高塔山 公園の観覧車

 若松に渡って高塔山(たかとうやま)公園へ登ると観覧車がありました。1962年に博覧会が開催されていたので、博覧会向けに造られたものでしょう?

 

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 遊園地 高塔山公園の遊園地

 手前はコースターのような乗り物。次は、吊り籠(かご)が中央の支柱で下げられて回転する乗り物。その次は、丸いプールの上を4台のモーターボートが中央の支柱から伸びたアームにくっついて回転するもの。いちばん向こうは、チューリップ形の座席が幾つも並んだメリーゴーランドのような乗り物です。

 高台にあるので見晴らしがよい。

 

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 同じく遊園地

 この乗り物は宇宙船のように空中を回転しています。

 向こうの建物は山上のロープウェイ発着場です。
 いつのころかな?

 観覧車・遊園地・ロープウェイ・・・今は全部ありません。夢幻のごとくなり。

 その代わり、たぶん別のものがあると思いますよ。

 

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 高塔山からの眺望

 高塔山公園から見た若松の街と若戸大橋(対岸は戸畑区

 この日は曇っていましたが、普段でもスモッグがあるため遠景はぼんやりです。

 現在は夜景もきれいです。念のため。
 

 

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 本願寺だと思ったけど、手前に不動明王の幟があるのも、ちょっとおかしい。

 別の寺なのか?

 

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 本願寺の鐘楼

 この鐘楼は立派なものです。

 

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 若松の段々坂
 若松は急な段々坂が多い。観光客にはめずらしいでしょうが、お年寄りはたいへんです。日常的に下ったり上ったりするのは。

 

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 金比羅神社

 現在の方がなんとなく小さくなっている感じです。

 

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 極楽寺

 草創時は天台宗の寺でしたが、ほどなく浄土真宗に改め、本願寺派に所属したとのことです。

 折らるるも 折るもつれなし 梅の花

 

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 若松駅

 若松は芥川賞作家・火野葦平の生誕地でもある。カッパ地蔵のところへも行ったはずですが、はっきりとは覚えていません。

 パゴダの前では記念写真を撮っています。
 若松駅は写真に残しておいてよかったと思います。

 しばらく行っていないけど、今は若松も発展しているでしょうね。





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