鄙乃里

地域から見た日本古代史

毒ガスの島からウサギの島へ 大久野島

 大久野島(おおくのじま)は広島県竹原市の瀬戸内海に浮かぶ島で、忠海(ただのうみ)港から島へ渡る船が出ていました。15分ぐらいで着きます。

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 戦前の島は軍事秘密で、戦後になると旧日本軍による毒ガス製造の島として一部の人には知られていましたが、昭和38年(1963)に国民休暇村ができてからは、国民宿舎やキャンプを利用した海水浴客が多く訪れるようになりました。

 

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忠海港の桟橋で

 船に大久野島国民休暇村の横幕が見えます。

 〈余談〉
 当時は他人がカメラを向けても誰も何も言いませんでした。
 むしろ喜んでこちらを向いてくれました。
 今はやりにくくなりましたね。
 善意を悪用する人がいると、そうなるんですよね。
 息苦しい世の中だと思います。

 

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  展望台と中四国送電用鉄塔

 大久野島へ着くと、目につくのがこの鉄塔と展望台。

 面積0.7平方㎞の島の最高点(108m)にある展望台で、鉄塔は中国地方から四国地方電力を供給するために、この頃完成しました。

 展望台からは愛媛県大三島などが間近に見えます。
 この中四送電線は不要になったため、現在は大三島へ送電しているらしいです。

 送電用鉄塔の高さは、今でも日本一だとか。

 

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   展望台に向かうリフト 

 これに乗って上まで行ったのですが、今もリフトが残っているのかどうかは分かりません。なさそうな感じがします。

 一応、何でも記録だけは残しておかないと、最近は変化がめまぐるしくて、ちょっとの間に何もかもが変わってしまいます。


(いつまでもあると思うな、今の風景)

 

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海岸風景

 国民宿舎の前あたりだったでしょうか。

 あたりには戦時中のコンクリートがむきだしのまま残されていました。
 宿舎工事のあとの土砂なのか、こんなものもそのままでした。

 

 現在ある毒ガス資料館は、あとから完成したもので、まだ影も形もありません。

 

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 国民宿舎 くのしま荘のロビーで

 棚の上のテレビには故障中の紙。アロエの鉢植え。
 でも、のんびりした感じで、こういう雰囲気のところは好きですね。

 現在では「休暇村大久野島といって、立派な宿舎が建てられ営業しています。

 

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 大久野島の船乗り場

 狭い木の橋を渡って乗り場(桟橋)まで行ったような…。今でもこんな状態なのかな?

 この辺にもコンクリートの残骸が…。

 

 ウサギの楽園

 ウサギの楽園は、昭和46年(1971)に放たれた8羽のウサギがふえて、1000羽ほどの数になったそうです。
 

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                             ジャストシステム

 なので、当時は、もちろんウサギなどは1羽も見かけませんでした。
 ところが、現在はウサギに逢いに年間30万人以上もの人が訪れ、その中には外国人観光客も多いのだとか…。おどろき! 桃の木、山椒の木

 
 毒ガス製造に関するページ

  大久野島から平和と環境を考える会

  毒ガス島歴史研究所

 大久野島に渡ったとき「まだ毒ガスが残っているんじゃないか」とちょっぴり気になった記憶はあります。



 


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