門司はいうまでもなく九州の玄関口で、鉄道と車両と歩行による九州への出入りは門司を通るしかありません。また門司港も明治以来、国際貿易港として発展してきました。
しかし、1942年関門鉄道トンネル、1958年関門国道トンネル、1973年関門橋が開通してからは、その都度、門司港の役割は減少していったかもしれません。
それでも門司港周辺には、駅舎をはじめとする明治・大正期の遺産ともいえる近代建築物が数多く現存しているところから、それらの西洋風建築物を観光資源として活用した「門司港レトロ地区」へと大きく変貌を遂げて、現在は活気を呈しているとのことです。
その一つ、駅向かいにある旧門司三井倶楽部の建物は国指定の重要文化財で、アインシュタイン夫妻が宿泊した部屋や、作家林芙美子の資料室もあるそうです。そういえば、林芙美子は下関よりも門司で生まれたという説が有力のようですね。
ただ、門司も当時と比べると人口はかなり減少しているでしょう。
ひとくちに門司といっても、自分が実際に歩いたのは門司港駅周辺と和布刈公園ぐらいなものですが。
ほかにも連絡船では何度も門司港に立ち寄っています。当時は小倉港よりも門司港のほうが有名でしたから、そこで鹿児島本線に乗り換えたのです。その当時の門司港駅からは町の灯が少し離れて見えたので、けっこうさびしい感じの場所だったように記憶しています。でも、おぼろな記憶なので、勘違いしているかも。
この門司港駅舎は天井が高く、歴史ある建物で、国の重要文化財に指定されています。2013年から6年をかけた保存修理工事も終わり、2019年には耐震設計された大正時代創建当初の駅舎がよみがえっているとのこと。当時の写真でも撮ってあればと思いましたが、今も現役なので、そんなに変わっていないのかもしれません。
和布刈神社(めかりじんじゃ)
写真は当時の絵葉書です。
和布刈神社は関門橋近くの海際にある古い神社です。神社の由緒によると仲哀天皇9年、神功皇后による創建との由。但し西暦200年というのは『日本書紀』の編年による計算ですから当てにはなりません。主神は宗像の三女神とのこと。
有名な和布刈神事は、旧暦正月元旦の3時頃に神職が厳寒の海で和布(わかめ)を刈り、神前に供えて祭りを行う神事で、神社創建時から続いている由緒ある儀式だそうです。
世界平和パゴダ
世界平和パゴダは和布刈公園の山頂にあります。
日本とビルマ(現ミャンマー)の友好親善と世界平和を祈念するとともに、第二次世界大戦に門司港から出兵した戦没者を供養するため、昭和33年(1958)にビルマ政府仏教会と門司市により建立されたものといわれます。
門司港から大陸方面への出征者は200万人ともいわれ、その中にはビルマ戦線(インパール作戦)の出征者も大勢いたそうです。無謀な作戦は失敗で、敗走時にほとんどの日本兵がジャングルで飢えと病気のため亡くなりました。ミャンマーのお坊さんが来日して毎日お参りされているそうです。
現在は周囲の木がもっと繁っているでしょう。
和布刈公園(神社のほう)にあるエレベーターから海底トンネルの人道に下り、歩道を780メートル歩くと下関の御裳川(みもすそがわ)へ渡れます。