鄙乃里

地域から見た日本古代史

1.倭の五王が簡単に分かる法

 1.倭の五王が簡単に分かる法

 「倭の五王」とは、5世紀中国南朝宋の歴史を記した『宋書』ほかに名前が登場する日本の王のことで、当時の東晋や宋に遣使貢献をして、朝鮮半島南部の国々を軍事的に統率する爵位の授与を求めたとされている。

 この5人の王の名に讃、珍、済、興、武があり、それぞれが誰に相当するのか、古代史の研究課題の一つとされている。

   それを確定するためのアプローチには、

  ①年代から考える
  ②事績から考える
  ③中国の史書の内容から考える
  ④これらを総合的に考えてみる

…など、いろいろな方法がある。

 そうした研究を進めた結果、これは5世紀の河内王権の大王天皇)のことで、今ではだいたいの王名が特定されているようである。

 しかし、その中には史書の内容から、いくつかの問題を含んだ箇所があり、それは主に讃、珍に関するものであるが、そのため、必ずしも確定に至っていないとの指摘もある。

 そこで、ここではそのような小難しいアプローチは止めて、いちばん簡単な方法を紹介してみよう。

 それは『日本書紀』にある各天皇和名と、中国の史書に出ている王名を比較・検討してみるやり方である。

 『日本書紀』に見られるこの時代の天皇は以下のようである。

   仁徳天皇 大鷦鷯尊
   履中天皇 去来穂別尊
   反正天皇 瑞歯別尊
   允恭天皇 雄朝津間稚子宿禰
   安康天皇 穴穂尊
   雄略天皇 大泊瀬幼武尊

 これに中国の史書に出てくる王名を当てはめてみる。

   仁徳天皇 オオサザキ…オオサンザキ(サザキはサンザキともいう) → 讃 
   反正天皇  ズハワケ…メズハワケ                                   → 珍(彌)
   允恭天皇 オアサヅマワクゴ…オアサイヅマワクゴ                 → 済
   安康天皇 アナホ→アナホウ→アナコウ                              → 興
   雄略天皇  オオハツセワカタケ                                         → 武

 当時の天皇には漢風の称号はなく大王(おおきみ)と称していたようであり、王名といっても鳥の名や、身体的・性格的な特徴や、住んでいた土地の名前などが付けられている。そのため外交上で使用される場合は、この和名に対して長々しく漢字を振り当てなければならない。

 それに比べると、上記の漢風の王名は、どれも王の徳と人格を一文字で表現していて、王侯たるものにふさわしい堂々たる名である。しかも、国際感覚があり、相手方にも分かりやすいものになっている。

 

 

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(つづく)