5.『魏志』の「女王国」は、ほんとうに邪馬台国だけなのか?(2)
女王国は邪馬台国だけなのか? 女王国が邪馬台国だけだとしたら、「女王国の東へ海を渡ること千余里にまた国があってみな倭種である」とは、どの国を指すのだろうか。九州なら中国地方や四国地方があるから、それなりに理解できなくはないが、もしこの場合の女王国が畿内の邪馬台国(やまとこく)だとすると、琵琶湖かどこかの北になってしまう。それまでは邪馬台国の方角を南と書いているのだから、まさか伊勢湾が東にはならないだろう。
要するに『魏志倭人伝』は、倭国全体の国や地形を理解した者が書いたのではなく、何人もの使者や倭人によってもたらされた時空の異なる断片的な情報を、一堂に集めて編纂したものである。
だったら、逐語的な解釈であれこれ論じてみても、記事のすべてに整合性が得られるはずがない。第一、倭国の周囲からして5千余里しかないとすると、帯方郡から狗耶韓国よりも少ないではないか? なるほど、7千里と5千里を足せば、1万2千里にはなるが…。
あるいは、これは自分の読み間違いで、5千里は一国のことを言っているかもしれないが、国にも大小があるはずだ。
とにかく女王国と邪馬台国の関係については、疑問を感じる。末廬国まで1万里と書いておいて、邪馬台国までが1万2千余里とするのは、書く人の頭がどうかしないと書けないはずだ。「女王国」が九州説と畿内説で別れているのも、このあたりが原因だろう。 両方にあれば納得がいく。
(つづく)