京都の鞍馬寺は平安の昔から洛北の守護神として信仰が厚い寺とされています。
市内の出町柳駅から京福電鉄(今は叡山鉄道かな)で鞍馬駅まで行き、その後は中腹のお寺まで上がるケーブルカーがあります。が、そのときはケーブルカーには乗らずに徒歩で登ったと思います。
ところが、お寺に上がってみると、ちょうど本殿が再建工事の真っ最中で、ぜんぜん拝観できない状態になっていました。実は、本殿はずっと以前に焼失したまま25年間ぐらい復旧されず、そのころようやく工事に入ったところだったようです。そんなわけで、建物全体がシートで覆われていたような記憶だけが、おぼろげに頭に残っています。
当時はインターネットなどないので、現場(寺)まで行かないと、どうなっているのか分かりません。それに当時の予備知識のほうも、牛若丸が修行した山だとか、鞍馬天狗の話ぐらいなもので、あまり詳しい情報を持てなかったこともあります。
あいにく本殿が工事中ということもあって、他の場所も落ち着いて参拝する雰囲気ではなかったので、境内の写真がほとんどありません。このとき工事中の本殿は翌年に完成したのですが、これが現在の本殿金堂です。
あとから調べてみると、鞍馬寺の歴史は、鑑真和上の高弟の鑑禎上人(がんていしょうにん)が宝亀元年(770)に鞍馬山に毘沙門天を奉じて草庵を営んだことに始まるといわれ、その後もさまざまな経過をたどります。しかし、現在の鞍馬寺の本尊は、毘沙門天・千手観音・護法魔王を「三身一体の尊天」として信奉し、昭和24年からは鞍馬弘教(くらまこうきょう)の総本山となっているとのことで、いずれもその歴史において当寺とゆかりの深い神仏をお奉りしているようです。
ほかの寺社とはひと味少し違う不思議な神仏を奉っていますが、たぶん、密教・法華経などと山岳宗教がミックスされた特異な神仏なのでしょう。
その中の護法魔王(ごほうまおう)というのは天狗の総帥のことで、密教や法華経にはヒンズー教の神々もいろいろ取り込まれています。
モンゴルやテュルク系民族をはじめとする中央アジアのシャーマニズムにはテングリ信仰というものがあります。テングリは現地で「神」とか「天」を意味するらしく、そこでは神を迎えるために楽器を奏で、地面を踏みならし、歌舞を舞ったりするのですが、日本神話でも天照大御神を岩屋から誘い出すために、天鈿女命(あめのうずめのみこと)らが同様の行為をしている場面がありますね。そして、テングリ信仰は仏教やキリスト教、イスラム教とも融合していくようです。
天狗の音はこのテングリに由来しているのかもしれません。天狗は字義からいうと「天の犬」となるので、天の使い、正法の守護者ということなのでしょうか? 星座でいえば「シリウス」のことかもしれません。
護法魔王はヒンズー教のサナトクマラ(サナトキクマラ)と同一神とされていて、神智学によると1850万年前に人類教導のためか金星からゴビ砂漠に降り立ったとされ、また650万年前には鞍馬山の奥宮に降臨したともいわれています。
しかし、1850万年前には地球に生物はいても、まだ人類はいなかったでしょうから、来るのがちょっと早すぎたか~と思って、いったんどこかへ帰ったのか? それから650万年前にまた訪れた。
あるいは、神智学が「1850万年前ではさすがにまずい」と思って、あとから年代を変更しただけなのか? その年代は、通説にいう二足歩行の人類誕生の時代に当たるようなんです。だとしても、人類が誕生したのがアフリカ大陸なら、鞍馬山には、まだ人影はなかったはず…。何のために来たのでしょうかね?
それによると、この護法魔王尊は、モーゼよりも、釈尊よりも、老子・孔子よりも、そして天照大御神よりも、イエスキリストよりも、それどころか縄文時代よりも、比較にならないぐらい、はるかに古い時代の神なんです。人格神というよりも、むしろエーテルのような存在。中央アジアからシベリアあたりで広範囲に信じられていた信仰が、いつしか人の移動と共に日本にも伝えられてきたということなのでしょうか。
鞍馬寺では、毎年5月に「五月満月祭」という秘技が行われるらしいです。見たことはありませんが、これはウエサク祭ともいって、仏教の祭事を取り入れているようです。ヒマラヤ近傍でも見られる行事のようで、カイラス山の麓にウエサク祭りや、それにまつわるウエサク渓谷という場所も存在するそうです。カイラス山は聖地で、須弥山のモデルともいわれている山ですから、その地方の祭事が伝わったのでしょうか。
そのカイラス山の北方にキルギス共和国があり、日本人とは兄弟といわれる話もあるようで、顔立ちも似ています。鞍馬寺のウエサク祭りではローソクの灯明を本殿前の金剛床に六芒星の形に並べるのだそうです。
ウエサクの語源は釈尊の入滅日に関連するヴァイシャーカ(Visakha)だそうですが、鞍馬の祭りから連想すると、「ウエサク」の音は。むしろ「イーサク」のほうに近いのではないか? 「ウエサク祭」は「イサク燔祭」の変形としての「聖なる祭り」が仏教と融合した結果ではないか?…などと想像したりもしました。
もちろん、たいした根拠はないので、実際のところは何だか分かりません。
その護法魔王尊に仕えているのが鞍馬天狗という天狗の大将なので、鞍馬天狗は修験道の元締めのような存在かもしれません。初期の天狗の姿は山伏そっくりです。
余談が長くなりました。次に進みます。
この建物はよく分からないのですが、鞍馬寺の写真はこれ1枚だけです。
この建物の横から山道に入っていきました。その坂を上がりかけたところから撮っています。したがって、仁王門の近くにある道場か、ケーブルカーの乗り場でなければ、貴船へ向かう木の根道の入り口しかありません。今の霊宝殿あたりなのか?も。
鞍馬寺のあとは山道を歩いて貴船神社(きふねじんじゃ)に向かいました。
貴船神社への山道は速く歩けば1時間足らずのハイキングコースで、それほど長い道のりではなかったのですが、最初のころは浮き上がった木の根っこばかりで歩きにくく、こういう場所で牛若丸(遮那王)が天狗と修行したのかと思わせるような道でした。しかし、次第に下り坂の細道になってきました。途中の道端に「熊に注意」の立て札があって、こんなところまで熊が出没するのかと怪訝に思った覚えがあります。
貴船神社正面の鳥居
京都の貴船神社は全国の貴船神社の総本社で、京(みやこ)の水源を守る高龗神 (たかおかみのかみ)を祀っています。
貴船神社石段
鳥居をくぐったところにある石段。
現在、両側に春日灯籠が立ち並んで、中央に手摺りが付いている場所が、この石段ではないかと思います。このときには何もなくて、神社の方が落ち葉の掃除をされていました。
水のマーク
入母屋の妻壁のところに「水」のマークがありました。
屋根に千木が付いていますが、民家かもしれません。水のマークは貴船神社が水に関わる神社であるためか、もしくは、火災除けのためでしょうか。
貴船神社境内
こちらは奥宮への入り口ではなかったかと思います。
奥宮の主祭神は闇龗神(くらおかみのかみ)ですが、高龗神と一体の神といわれています。
元は奥宮の場所が本宮だったようです。
このときはすでに時間がなくて、本宮や奥宮まで参拝したかは不明です。たぶん、薄暗くなりかけたので、急いで山を下りなければまずいと思って行かなかった可能性があります。市街から山への往復と、鞍馬寺を歩いて上がったのと、鞍馬寺から貴船までの山道に意外と時間を使ったのかもしれません。でも、この写真では、まだ奥宮へ向かっている人もいますね。どうなんだろう?
ただ思川(おもひがわ)という名の小川と、朱塗りの橋があったことは鮮明に覚えています。こんなロマンチックな川が実際にあるんだ!!ここは縁結びの神様だろうか? などと考えたものでしたが、あとから調べてみると。実際にそのようでした。
以前、バーブ佐竹さんの「ネオン川」という歌があったことも、ちょっと思い出したりしました。「思川(おもひがわ)」と「ネオン川」だいぶ違いますが、自分の中では似たようなものです。
木々の緑の中で、朱塗りの鳥居や燈籠が、ひときわ目に映える神社です。